
2010年8月30日 10:04
経済成長が見込めない中、観光政策に舵を切りたい日本。そのためには街並みを整える必要がある。2004年に景観法が公布されて以来、景観条例を定める自治体が増えた。横浜市でも景観条例に基づき、関内やみなとみらいの景観形成に乗り出している。一方で、私たち日本人の景観に対する無頓着さを変えていかなければいけないと専門家は指摘する。今回は綱島で活動する若手経営者、的場敏行氏に話を聞いた。(聞き手=伊藤ひろたか)
「美しい国、日本。100年後をつくる」というキャッチ・フレーズで面白い取り組みをしていますね。
nengo projectですね。建築の専門家をはじめ、これから日本をよくしたいと考えている人間が集まっています。ユニクロのブランディングに関わっていたり、企業のコーポレート・マークをデザインしていたり、色々なメンバーがいます。いい街を作っていこう、美しい景色を残していこうという活動を始めたところです。今は私の仕事の拠点の1つである綱島からやってみようと考えています。
何がキッカケだったのですか?
1枚の写真です。100年くらい前の江戸の町並みの写真。当時、世界でもその美しさは知れ渡っていたと言われています。今ではすっかり、そんな風景もなくなってしまいました。私たちは100年後にどれだけの美しい街並みを残せるだろうか、というのが原点です。
それは100年前の風景を取り戻すという意味ですか?
いや、違います。元に戻す必要はありません。100年に比べて技術も格段に進歩して、いい建材も出ていますから。わざわざ、昔の茅葺の日本家屋に戻す必要はありません。そうではなくて、これからの日本をつくっていこうと。そのためにも、私たちはもっと街の景観に対して敏感でなければいけません。
なるほど。例えば、横浜市の場合では景観条例に基づき、関内地区とみなとみらい地区を都市景観協議地区に指定しています。
関内地区やみなとみらい地区の取り組みは素晴らしいですよね。守るべきものは守るという姿勢が大事です。横浜市のような取り組みをやっていれば、必ず市民は気付きますよ。私はもっと厳しく規制してもいいのではないか、とさえ思います。例えば、景観条例で守られている近隣の地区、例えば元町のようなエリア。いずれにしても建て替えに際しての規制をかけておけば、街は変わっていきますよ。どこか1つ、成功事例を作ることってすごく重要だと思います。
経済性だけで物事を分析するのは野暮かもしれませんが、美しい街並みにはそれなりに時間とお金を掛ける必要があります。しかもすぐに効果が表れる訳でもありません。
日本経済はもう今までのようには成長しないですよね。だからこそ、今、国を上げて観光に注力しようとしています。海外から観光客を呼び込む時に、何が決め手になると思いますか?それは街並みですよ。最終的には、街並み。リピーターを作るには街並みが決定的に重要になります。ヨーロッパはそれにちゃんと気付いています。
ミニ東京化してきた日本の建築行政の方向を転換していこうというのが、近年の景観条例の動きなんだと思いますよ。景観法が出来てから、各地方自治体で景観条例がどんどん制定されて、いい動きが出てきています。さきほどの関内やみなとみらいの事例もその1つです。
街並みをつくるといった時に、私たちのように普通の市民はどうしたらいいのでしょうか。何が出来るのでしょうか。
私の知り合いでインテリア・コーディネーターがいるんです。イギリス人。彼が面白いことを言っていました。「日本の街、景観が汚いのは、家の中が汚いからだよ」。自分の家さえも気にしない人たちが街の景観を気にするわけがないと言っていましたね。まずは自分の家に愛着を持つところから。
私が会社の事業でペイント事業を始めた理由もそこなんです。お父さんが中心になって自分たちで家の内装、つまり壁をペイントする。お父さんが壁を塗っている様子を見て、子どもたちが「パパ、凄い!」となります。そうしたら、子どもたちも家が好きになります。歴史を積み重ねるように、壁に色を塗り重ねていく。ある時、モノをぶつけて壁に傷が付くと、そこには昔の色が出てきます。「これはお前が10歳の時の色だよ」ってなるでしょう。そうなれば、家は簡単に壊せなくなります。愛着が湧くんです。
家に愛着を持つ、室内に気を使うことが街への愛着に繋がるという指摘は大変示唆に富んでいますね。
室内が気になれば、次は外観が気になるでしょう。外観は本来、みんなのものです。私たちの服装もそうでしょう。私たちの服装もTPOに合わせます。それは私たちの外観、服装は相手のためのものです。それと同じ。結婚式に参加するのにTシャツにジーパンというわけにはいかない。服装はそれなりに気を使うのに、家の外観は殆ど無頓着です。
そういえば、こんなことがありました。港北区に横浜市指定有形文化財の日本家屋があるのですが、その隣に、同じような立派な日本家屋がありました。ところが、相続だったのか事情は分かりませんが、ある日壊されて、新しい家が建ちました。それもスウェーデンハウス。輸入住宅です。立派な日本庭園と日本家屋の隣に突如としてスウェーデンハウスが出来ちゃった。さすがに、あまりに景観がアンバランスなので、周りからも色々言われたみたいですけど。
これは極端な例ですが、やはり海外の人からは私たち日本人があまりに景観に無頓着過ぎると映るようです。
そういえば、今、駅前はどこも同じ景色ですが、それも景観を大事にしてこなかったことと関係があるのでしょうか。
そうだと思いますね。地域性を自ら捨て去ってしまった。本来、地域性こそがウリなのに。どの駅も渋谷の駅前と大して変わらない、程度の差はあっても、ミニ渋谷駅という様相を呈しています。私が生まれ育った街は川崎市高津区にある溝の口駅なのですが、ここも御多分に漏れず、駅前の再開発でつまらない街になってしまいました。渋谷と同じような作りをしていたら、そりゃぁ、人は来ないですよね。
ただ、一筋の光明も見えています。溝の口には大山街道といって、東海道や甲州街道の脇往還でした。溝の口はその宿場町だったのですが、大山街道沿いの商店街では自主的に規制を始めました。具体的には、建て替える時に1.5メートル、セットバックし、建物の色も統一します(参考資料:大山街道景観形成協議会)。今のままだと大山街道を安心して歩けないのですが、セットバックして歩行空間を確保しよう、と。人が歩けない商店街なんてあり得ないですよね。溝の口の再開発が大失敗だっただけに、地域性を取り戻すという動きは期待できます。
横浜市では今の溝の口駅の取り組みのような郊外区において景観条例に基づく協議地区は存在しません。もし、やるとしたら、地域も含めて何かアイデアはありますか?
そうですね、私の会社の活動拠点である綱島は面白いですよ。調べれば、色々と興味深い話があります。景観条例で規制するか否かの議論は別にして、例えば、戸建ての住宅街で庭に桃の木を1本、植えてもらうとか面白いですね。春になって、綱島の住宅地を歩くと桃の花が咲き誇っている。考えただけでもワクワクします。桃の実がなって、それを鳥が食べて種を別の場所に運んでいく。気付くと、綱島のそこかしこに桃の木が植わっているようになるといいですね。
綱島という街は実は桃の街だったんですよ。そして温泉街でもあった。熱海が開発されるまでは首都圏の温泉街といえば、綱島でした。
綱島の街を桃の木でいっぱいにするというのは大変、夢のある話ですね。
今まで日本ではあまりに伝統とか文化というものが軽んじられてきました。その結果、価値のある街に住んでいながら、気付いていない人があまりに多いと感じます。これは大変勿体ないことです。私は綱島で賃貸不動産を経営しているのですが、驚くことに仕方なく住んでいる人が意外に多いですね。本当はもっと都心に住みたいけど、家賃が高いから、仕方なく綱島、みたいな。
「仕方なく」というのは表現がきついかもしれないですが、でも積極的に綱島を選んでいるようには感じません。「自由が丘で12万円で探したけど、見つからなくって」といった発言をよく聞きます。本当はそっちに住みたかったんだなって感じるわけです。でも、さっき少し触れたように、綱島は本来、たくさんの魅力があって、価値のある街なんですよ。ただ、それに気付いている人が少ない。
私もかつては都内に勤務するビジネスマンでしたから、実感として分かります。どうしても住む街を選ぶ際の基準は、「都内まで、会社まで何分で通勤できるか」が最重要ファクターになっていました。
現実問題としては分かりますよ。ただ、住む以上は街の良さをちゃんと知って欲しいなと思っています。特に綱島という街は、結婚を控えて、これから人生を共に歩むカップルや若い夫婦が多いんです。圧倒的にDINKS。二人のスタートの場所ですからね、「仕方なく綱島」というマイナスのイメージではなくて、「住んで楽しい街だから綱島」というプラスのイメージで生活して欲しいです。
実は私の会社では、綱島のお年寄りが昔話をしているDVDをお客様に必ず、見てもらっています。もしかしたら、「面倒くさいなぁ」って思われているかもしれないですけど(笑)。でもね、やっぱり、綱島に住む人たちには、この街の良さを知って欲しいし、将来、家を構える時、この街に戻ってきて欲しいですから。
綱島のお年寄りが昔話をしている…DVD?!なんですか、それ。
NHKに協力してもらって作ったDVD。綱島桃物語だったかな。さきほど、少し触れましたが、綱島って桃と温泉の街なんですよ。その辺の歴史、地域性をお年寄りが語ってくれているDVDです。
綱島の桃は全国的には非常に有名で、「東の綱島、西の岡山」って言われていた時代がありました。綱島の桃は味、香りがいいという評判で、昭和6年頃には24万箱、288万個の桃を生産・出荷していました。当時、桃の生産高は岡山を抜いて日本一でした。今でも綱島に、わずか一園だけですが、桃農家が残っています(注:綱島で桃を栽培するに至った経緯は横浜開港資料館に残っています。参照URLはコチラ)。
桃だけでなく温泉も当時の名残がありますよ。駅前には「東京園」という温泉が営業を続けています。ラジウム温泉。ただ、今のままだと将来あると言われている綱島の駅前再開発で消えてしまうかもしれない。
街並みを残していこう、歴史を大事にしていこうという運動を大きくしていく必要がありそうです。
そう。それは行政だけでもダメですし、市民だけでもダメです。一体となって取り組んでいく必要があります。街を大切にしたいという発露として、例えば、綱島駅を「綱島温泉駅」と往年の名前に戻す運動があってもいいかもしれないですね。それは押しつけではなく、市民の発意として。もちろん、東急電鉄が「YES」という言うかどうかは別ですけど。
日本経済がもう今までのようには成長していかない時代になっています。ミニ東京化してきた日本の建築行政の方向を転換していこうというのが、近年の景観条例の動きなのだと思いますよ。景観をどうやって作っていくか、今を生きる私たちに与えられた役割ではないでしょうか。