2011年12月29日 19:41
3月11日、14時46分。この時は私はこども青少年・教育委員会の常任委員会に出席していました。地震への不感症といいますか、最初のうちはその場の誰もがすぐに収まるだろうと様子を見ていたのをはっきりと覚えています。「ドアを開けろっ」。自民党の横山議員の一言で、職員が扉に飛びつきました。それとほぼ時を同じくして、議員、職員の携帯に緊急メールが届き、外を見ると関内市庁舎周辺のビルが柳のように揺れていました。そして通りはあっという間にビルから出てきた人で埋め尽くされました。
その後の混乱はご案内の通りです。そして震災はまだ終わっていません。3.11のあの晩、私たちが覚えた不安を被災地の人たちは今でも抱えています。不安だけではありません。家族を亡くした悲しみ、家をなくした悲しみを抱えたまま、新年を迎えようとしています。
残念ながら日本の政治は混乱しています。民主党のていたらくを声高に非難する向きもありますが、これはもう仕組みの問題でしょう。小泉内閣以降、安倍政権、福田政権、麻生政権、鳩山政権、菅政権そして野田政権と政権与党が変わっても、政治がリーダーシップを発揮できないのは仕組みに問題があると言わざるをえません。
私たち地方自治体の現場も国政の混乱の影響を大きく受けました。震災では放射能を巡って、政府発表が二転三転したこともあり、暫定基準値に対する信頼が揺らぎましたし、放射能のチェック体制への信頼も揺らぎました。子どもたちの環境(学校、幼稚園、保育所)や給食はいうまでもなく、消却灰や下水汚泥などの処理もいまだ課題を抱えたままです。
日本が岐路を迎えていると言われて、もう10年が過ぎました。この10年間、日本は前進できたでしょうか。行政組織の効率化(公務員制度改革)、デフレからの脱却、未来の日本を牽引する産業の育成(正確には行政主導ではなく規制緩和による産業育成)、そして財政規律。やらなければいけないことは分かっています。
私は今こそ、理念とビジョンが必要だと感じています。そもそも横浜市は何のために存在するのか。何に向かって職員一人一人が努力するのか。企業なら当たり前に共有している理念、ビジョンを行政マンは共有しているでしょうか。横浜市は5年前の平成18年に長期計画を策定しています。私はこの計画策定時には議席はありませんでしたが、これは前市長が残した1つの成果だと私は思います(前市長には当然、功と罪と両方あると私は考えています)。
大切なことは、この長期ビジョンを本当に職員一人一人が共有しているか、です。「服を変え、常識を変え、世界を変えていく」。これはファーストリテイリングの経営理念です。検索エンジン大手のgoogleは「世界中の情報を整理し、世界中の人々がアクセスできて使えるようにすること」。世界で元気な企業ほど、経営理念をトップがしつこく社員に訴え、そこに向けて会社が一丸となって動いています。そこに企業の活力が生まれています。
これから地方自治体は本気で明治維新の逆をやらなければいけない。これは相当、腹を据えてやる必要があります。その先駆けになるのが大阪でしょう。橋下市長がそれをどこまで意識しているのかは分かりませんが、都構想の本質は国との戦いです。府と市の二重行政の解消など、現行制度でも十分対応出来ます。大阪が都市としての活力を高めたい、そのための都構想ですから、行き着く先は国の規制行政との戦いです。
横浜市もその覚悟と、腹を決めなければいけません。都市制度の在り方を巡っては大阪と横浜では考え方は異なりますが、都市としての活力を生み出そうという目的は同じですから、その点は一致団結して活動できるはずです。だからこそ、理念とビジョンの再確認が必要だと私は考えます。
NHKでは「坂の上の雲」の放映が終わりました。年末には五木寛之氏の「下山」が書店に並びました。こういう作品がこの時代にテレビ、本になるのは偶然ではないでしょう。世相を表しているのだと思います。緩やかな衰退という言葉をよく目にします。現状維持は衰退です。かつてのような経済成長は望むべくもないのかもしれません。しかし、最低限、社会を維持するだけの成長は達成しなければいけない。あと40年もすれば人口の40%は65歳です。その時は私も40%の1人です。
人口動態は変えられません。40年後の社会が見えている中で、私たちはどうするのか。今こそ政治家の胆力が問われている時代はありません。3.11の東日本大震災はその厳しい現実を私たちにはっきりと問いかけています。
今年は4月に統一地方選挙がありました。横浜市会では14人の仲間が誕生しました。私も含めて、まだまだ荒削りです。来年が勝負の年になるでしょう。ここで14人のメンバーの力が問われます。1年間を振り返りつつ、反省すべきは反省し、新年への誓いとしたいと思います。
昨年、選挙で貴殿に投票し、県の方を棄権しようとしたら、管理人に
呼び止められ、名前を書かされた。こんな人は、初めてなのだろう。
私は、自慢するわけではないが、非難されるべきだが、昭和30年前半に生まれ、選挙は今まで、2回しかない。貴殿の含めると3回になる。そもそも思うのだ、立候補するタレントもタレントだが、投票する人も、知遇である。社会科学は、全然興味がないが、政治とは、税金を何に使うプロセスだと思っている。この見解は、正しいと思う。故に、それなりの、知識、人望を有する人物が政治家となれるのである。つまり、知名度の問題ではない。又、現状に満足している人間はこの社会体制を変えたくないと思っているだろう。又、器の問題もある。角栄さんの娘さんは、国の舵取りはできない。出来るのは、新潟県の県知事である。これは、私の友人の弁である。