2009年4月22日 19:30
「いい大学に行ったって社会で通用しなけりゃ意味がない。だから社会で通用する生きる力を身につけることが大事だよ」と主張する方がいます。こうした主張をされる方は私の感覚だと結構な割合でいらっしゃる。私はこの意見に半分賛成、半分反対です。
仮に偏差値の高い大学をいい大学だとします。いい大学に通学していても社会性に疑問符がつく人は当然、一定の割合で存在します。ただし、それはいい大学に限った話ではなく、普通の大学でも同じです。いい大学は有名であるが故に、社会性のない学生あるいはそのOBの存在が目につきやすいだけのことでしょう。社会性の有無は学力とは関係なく、むしろ、育ってきた環境(家庭や地域など)に依存するものです。
さて、本ブログでなぜ、わざわざこの話題を私が取り上げたのか。それは「勉強しなくてもよいという言い訳にしていないだろうか?」という思いが常に私の中にあるからです。少なくとも、ビジネスパーソンとして活躍したいと願う人は世界を相手に戦うわけですから、教養が必要です。仕事のスキルはもちろん重要ですが、世界で勝負する時のライバル達も仕事に関するスキルは同水準にあるわけですから、最後にモノを言うのが教養になってくる、私はそう確信しています。
もっともビジネスパーソンに限った話ではなく、私が身を置く政治の世界も、あるいは大学など研究者の世界も同じでしょう。仕事の話は通じるけれども、一歩離れた文化や歴史、科学、芸能といった分野には通暁していないという人は世界で相手にしてもらえません。
常々、こういう問題意識をもっており、大学改革は国政で議論するテーマなのでブログではあまり触れてきませんでした。元伊藤忠会長の丹羽氏や富士ゼロックス特別顧問の小林氏、森ビル社長の森氏など様々な場面で経済界の重鎮から同様の発言を最近立て続けに耳にしたものですから、本ブログでもしっかりと触れておこうと思った次第です。
最後に、少し話はそれますが、上記のお三方はいずれも「60歳以上の年寄りは引退して、30代、40代の若い世代に託した方がよい」と喝破されています。小林氏に至っては「昨今の公務員批判はさすがに目に余るものがあるが、それでも行政の中にも政治家の中にも、若くて優秀な人はたくさんいると信じている。今は上が詰まっているから、表舞台に登場していないだけだ。そんなに日本は捨てたもんじゃない」とおっしゃっています。
経験豊かな経済人の方々が期待を寄せている若い世代像に近づくべく、私も日々邁進していきたいと思います。
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